頑張れ自分!!(ユウキ追記 その2)
2006年10月2日 日常いまだに「ユウキ」の中の三田雄基という人物が
ふと頭の中をよぎる
直接会ったわけでもないのに
私の中ではかなり印象の深い人物である。
ドラマになったからではなく
闘病者だからではなく
前向きな目線の強さ
人を受け入れる人間としての器の大きさ
自分にないものを 追い求めているのかもしれない。。
そして以下にあげる人物も
私が強く 影響を受けた人物 。。
HPの中のブログ欄にH15年に載せたものの再掲 。。
*〜桜咲くこの時期に。。〜*
桜が咲くこの時期になると思い出す患者さんがいます
わたしの所属する病棟に入院していた
わたしと同じ年の大腸癌の方でした
当時私は資格を持っておらず看護助手をしていました
彼は一度は手術をして人工肛門を作り元気に退院されました
(本当はそのときに
彼の余命はおおよそ分かっていたのだけれど。。)
半年もしないうちにまた彼は再入院してきました
それから彼は1年半以上もの間絶食となり
点滴で命をつないでいました
そのときの病棟は末期の患者様が多く苛立ち、
感情をむき出しにする患者様が多かったのですが
彼はいつも感情を出すことなく穏やかな顔をしていました
たまたま同室にうちの旦那も入院したことから
彼の家族ともいろいろ話をさせていただきました
彼のお母様は
「あの子はいつも感情を自分のなかで抱えてしまう
人に甘えず我慢してしまう
わたしは何もしてやれないけどついているだけでも
どこかであのこの支えになれたらと思う」
とよくおっしゃっていました
本当に彼は穏やかで。。。
唯一彼の感情を見たのは料理番組を食い入るように
見ていた姿でした
1年以上もの間食べられないと言うことは
どんな思いだったのでしょうか
うちの旦那は半月の間でも人生観が変わったと
後々言っていました
翌年4月わたしは看護学校へ入学し
それと同時に部署が移動になりました
入学直後は時々前の部署に顔を出しに行きました
そのときに彼の姿を見つけては話をしました
春先になると病院の近所の野球場では
毎年アマチュアチームの草野球大会が開催されます
彼も元気な頃はその大会によく出ていたそうです
そろそろ始まるねと彼と話をしたのを覚えています
本当は見に行きたかったらしいのですが
その頃はもう外に歩いていくほどの体力は無くなっていました
それからしばらくして彼はなくなりました
なくなったのを聞いたのは後になってからのことでしたが
頭が痛い。。と突然言って
検査をしているうちに意識がなくなり
夜半過ぎ亡くなったとのことでした
普段当たり前になっている食べると言うことの大切さ
生きるということ
本当の強さ
医療に携わるものとしての心がけ。。。。
彼からは本当にいろいろなことを教わりました
彼は独身のまま亡くなりましたが
元気で生きていたならば
きっと今頃は結婚し優しいお父さんになっていたり
はたまた独身生活を堪能していたかもしれません
この時期になると彼と話していたことを思い出し
襟をただししっかりと生きなければ。。と思うのです
彼が亡くなってから4度目の春が訪れます
この方は雄基さんのようなアクティブな方ではない。。
でも淡々とした強さを持って生きた人だった
これらの人たちをふと思い出し
そんな折に 自分に問いかける 。。
「おい。。頑張っているか? 自分!!」
そしてぐうたらな自分を叱咤激励する 。。
「しっかりしろ!! 頑張れ !! 自分!!」
ふと頭の中をよぎる
直接会ったわけでもないのに
私の中ではかなり印象の深い人物である。
ドラマになったからではなく
闘病者だからではなく
前向きな目線の強さ
人を受け入れる人間としての器の大きさ
自分にないものを 追い求めているのかもしれない。。
そして以下にあげる人物も
私が強く 影響を受けた人物 。。
HPの中のブログ欄にH15年に載せたものの再掲 。。
*〜桜咲くこの時期に。。〜*
桜が咲くこの時期になると思い出す患者さんがいます
わたしの所属する病棟に入院していた
わたしと同じ年の大腸癌の方でした
当時私は資格を持っておらず看護助手をしていました
彼は一度は手術をして人工肛門を作り元気に退院されました
(本当はそのときに
彼の余命はおおよそ分かっていたのだけれど。。)
半年もしないうちにまた彼は再入院してきました
それから彼は1年半以上もの間絶食となり
点滴で命をつないでいました
そのときの病棟は末期の患者様が多く苛立ち、
感情をむき出しにする患者様が多かったのですが
彼はいつも感情を出すことなく穏やかな顔をしていました
たまたま同室にうちの旦那も入院したことから
彼の家族ともいろいろ話をさせていただきました
彼のお母様は
「あの子はいつも感情を自分のなかで抱えてしまう
人に甘えず我慢してしまう
わたしは何もしてやれないけどついているだけでも
どこかであのこの支えになれたらと思う」
とよくおっしゃっていました
本当に彼は穏やかで。。。
唯一彼の感情を見たのは料理番組を食い入るように
見ていた姿でした
1年以上もの間食べられないと言うことは
どんな思いだったのでしょうか
うちの旦那は半月の間でも人生観が変わったと
後々言っていました
翌年4月わたしは看護学校へ入学し
それと同時に部署が移動になりました
入学直後は時々前の部署に顔を出しに行きました
そのときに彼の姿を見つけては話をしました
春先になると病院の近所の野球場では
毎年アマチュアチームの草野球大会が開催されます
彼も元気な頃はその大会によく出ていたそうです
そろそろ始まるねと彼と話をしたのを覚えています
本当は見に行きたかったらしいのですが
その頃はもう外に歩いていくほどの体力は無くなっていました
それからしばらくして彼はなくなりました
なくなったのを聞いたのは後になってからのことでしたが
頭が痛い。。と突然言って
検査をしているうちに意識がなくなり
夜半過ぎ亡くなったとのことでした
普段当たり前になっている食べると言うことの大切さ
生きるということ
本当の強さ
医療に携わるものとしての心がけ。。。。
彼からは本当にいろいろなことを教わりました
彼は独身のまま亡くなりましたが
元気で生きていたならば
きっと今頃は結婚し優しいお父さんになっていたり
はたまた独身生活を堪能していたかもしれません
この時期になると彼と話していたことを思い出し
襟をただししっかりと生きなければ。。と思うのです
彼が亡くなってから4度目の春が訪れます
この方は雄基さんのようなアクティブな方ではない。。
でも淡々とした強さを持って生きた人だった
これらの人たちをふと思い出し
そんな折に 自分に問いかける 。。
「おい。。頑張っているか? 自分!!」
そしてぐうたらな自分を叱咤激励する 。。
「しっかりしろ!! 頑張れ !! 自分!!」
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