夜中にテレビで沖縄の地上戦のフィルムが流れていた。
腕にどっと鳥肌。。と同時に
幼稚園だったか小学校にあがる位の頃のうろ覚えの記憶が
よみがえってきた。
足の踏み場も無いほど人が寝転んでいた上野の地下道、
馬車道や伊勢佐木町の通り。。
それらの場所に立っている
白い服を着た片手や片足の無い人たち。。
当時はそれが不思議な光景に思え、思わず凝視した
母親は「そんなに見るんじゃない」と私をたしなめ
父は「あの人たちは‘しょういぐんじん‘なのだ」といった。
それが何を意味するのかはその当時は分からなかった
(文献を読むと成りすましなどもあったようではある。。)
その後神奈川に引っ越して、中学、高校生になって
友人たちと頻回にに同じ場所に出かけたが
きれいに整えられたそれらの場所は
あの当時の面影はまったく見当たらなかった
私は戦争を知らない
でも戦争は確かにあった。。
腕にどっと鳥肌。。と同時に
幼稚園だったか小学校にあがる位の頃のうろ覚えの記憶が
よみがえってきた。
足の踏み場も無いほど人が寝転んでいた上野の地下道、
馬車道や伊勢佐木町の通り。。
それらの場所に立っている
白い服を着た片手や片足の無い人たち。。
当時はそれが不思議な光景に思え、思わず凝視した
母親は「そんなに見るんじゃない」と私をたしなめ
父は「あの人たちは‘しょういぐんじん‘なのだ」といった。
それが何を意味するのかはその当時は分からなかった
(文献を読むと成りすましなどもあったようではある。。)
その後神奈川に引っ越して、中学、高校生になって
友人たちと頻回にに同じ場所に出かけたが
きれいに整えられたそれらの場所は
あの当時の面影はまったく見当たらなかった
私は戦争を知らない
でも戦争は確かにあった。。
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